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よい習慣は才能を超える(ブログ)

2019-02-07 08:06:00

締め切り間近の仕事もなくてちょっと余裕がある時、書き物をするために一人でカフェでコーヒー+ランチをしていることがあります。筆を止めた時に、きまって不思議な感覚に襲われます。隠居して仕事もしなくなったら毎日こんな感じなんだろうか?隠居したら、そもそも外食なんてするお金はあるのだろうか?という感じです。実際のところは、まだまだ先の話なわけなんですが、私は自分と社会とのつながりが見えにくくなる「この疑似体験の瞬間」がどうも好きになれません。

 

先日「みんなしたくて隠居しているわけではない。リアルな話。再就職口がないんだよ」と近しい大先輩がコメントされてわけですが、現役時代にいくら威勢のよいことを言ってたって、ボーッとしていたら(笑)、就職口が無いと焦る時が来るんだろうと思うんです。誰かに雇用されるという形態だけを考えると、そりゃ社会一般の話と一緒で、就職先は少ないでしょう。別に会社は冷たくありません。そもそも生き物じゃないですから。「長く勤めてきたのに、、、」なんてのは誤解の極み。こんなに非正規雇用が増えている時期だし、失業率も上がったっていうし、探してもないんじゃないの?って方はもっと困ったチャン。ちゃんと調べましょう!そんなやる気のない人は誰も相手にしませんよ。自分のできることで求人があるかないかの話ですから。

 

一般的な定年の年齢。何か事業をおこすということを考えると、まだリタイヤには早いと思うんですよね。私はそんなに若い時期のリタイヤなんて受け容れることはできませんから、その後も活躍できる場所を見つけられるように、スキルを磨く、目の前の仕事のことばかりではなく、時には社会的なことにも興味を持ち、つながりを持つことを自分に課すわけです。

やっぱり事業の先にあるのは、社会保障の弱いところの助けになりたいという想いですかね。日々強くなってきつつあります。

個人の力で社会問題にまで影響を及ぼすのは大変なことですけど、事業を通じて女性やベテラン世代の活躍、そして子供たちにとっても明るい未来を創るために何かできたらいいなぁと思うわけです。

 

私にとって隠居は、あてもないけど彷徨っている状態と同義だと私は思うのです。だから最期に記憶が全て途切れるその瞬間まで、何かに向かって全力投球し続けたい。もちろん健康問題などで難しくなることもあるでしょう。その時には社会保障に助けてもらうことにします。

 

隠居を決断するの前の皆さん、年金なんてあてにしていないで、自分たちの時代は根性だけだったとか言っていないで、立ち上がりましょうよ。60歳からまた10年、15年と頑張ってみましょうよ。